前回からの続きで、代行者を狙う襲撃者を、それぞれの護衛官が身を挺して守る、という話なのだけど。
代行者も護衛官もそれぞれ、これまでの境遇から心の傷を抱えていて、それをこの襲撃という外部からのイレギュラーな事態にかこつけて、心中吐露しあう、という流れw
ホント、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』だなぁ。
どうしても、この作者は「痛み」を表現したくて仕方ないらしい。
それは、痛みの次にある「癒し」を描くための前提なのだけど。
そりゃそうなのだけど。
ただなぁ、そういう、お互いに「痛み」を理解し、受け入れ、分かち合い、わかり合いましょう・・・という展開は、やはりナイーブすぎて、ちょっと今どきの作劇にはしつこい感じがするようにも思える。
リリカルすぎるというか。
その感性自体が過敏すぎるというか。
いや、だから『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』っていまいちのれなかったのだけど。
あれは、京アニのしつこい演出だから、というわけではなかったんだな、と今更ながら納得。
とまれ、雛菊もさることながら、さくらの抜刀を躊躇するところに、いったいどんな事件があったのかは気になる。
夏の代行者と護衛官の間の確執が、基本的には双子の姉妹という「対」からくる、「入れ替わりによる異なる未来の可能性」が常に想像できるから、という、主には想像的な痛み、というか強迫観念なのはわかるけど、さくらの場合はもっと根深い痛み、それこそトラウマが複合的に重なっているようなのが見ていてツライ。
できれば、不幸自慢な展開にならないことを望むなぁ。